対馬市の厳原(いづはら)港が近くなる5:00頃には夜も明け始めます。

酔い止めを飲んでたので、朝までぐっすり眠れました。

この白い樽状の箱には救命イカダが収納されてるようですが、手すりとの隙間が恐いです(◎_◎;)

小さな子供さんと乗船される方は、絶対に子供だけで甲板に行かせないようにしてください。

初日はこちら→対馬①

 

 


5:20頃、定刻より少し早く厳原港に着岸しました。

前方に見えるフェリーは、対州海運さんの「フェリーたいしゅう」で、今回乗船した壱岐対馬フェリーよりも1時間早い4:20には対馬に到着します。

こちらも旅客定員は12名。貨物メインの会社なんですね。

九州郵船のフェリーだと、700名ほどの定員です。

自分のクルマを載せて往復する場合、壱岐対馬フェリーさんが最安です(^^)/

 

 

 


着岸してる途中。

真ん中あたりの四角いビルは対馬合同庁舎です。

対馬労働基準監督署もこの庁舎に入ってます。

 

 

 

 

 


黄色い矢印のところが厳原港で、目的地は赤い矢印の対馬北部の上県(かみあがた)、上対馬(かみつしま)地域です。

途中、県道39号にそれながら主に国道382号で北上しますが、距離は80kmほどです。

 

 

 

 

 


どこの道路でもネコちゃんの飛び出しがありますが、ここ対馬市は天然記念物のツシマヤマネコの生息地ですので、このようなご当地標識があります。

画像は別の時期に行ったときのものですので、ススキが写っております(;^ω^)

 

 

 

 

 


これが天然記念物のツシマヤマネコです。

トラのような、ヒョウのようなコワモテなのが特徴です。

 

 

 

 

 


対馬市のHPから画像を拝借しました。

人間には懐かないので、見かけても絶対に近寄ったりエサをあげようとしないでください。

野生が彼らの生きる道です。

そっとしておいてあげましょう。

 

 

 


対馬に行ったときには必ず立ち寄る休憩場所。

万関橋(まんぜきばし)のたもとの休憩所です。

元は陸続きだった島に艦船を通すために、明治時代に人力で運河を掘ったらしいです。

 

 

 

 


赤い橋が万関橋で、現在は3代目となってます。

 

 

 

 

 


対馬の名物もアナゴ、ウニ、サザエ、アワビ、ノドグロ、マグロ、カツオ、椎茸、といろいろありますが(まだまだあります)、平べったい石を屋根瓦の代わりにしているのも特徴のひとつです。

今でも昔建てられた倉庫にこのような屋根が残ってます。

 

 

 

 

 

 


手前から順番に親戚や知人宅にお土産渡して挨拶して、本日最終の挨拶先が、親戚が経営している上県(かみあがた)タクシー。

「あら?上県タクシーさん、レクサスのハイヤーを導入したのかしら」って思われそうな停め方をしてみました。

ナンバープレートの分類番号が3桁になって20年以上になりますが、

長崎県本土では長崎300とか500とか100(貨物)とかですが、厳原運輸支局の分類は327、527、127(貨物)、という感じで下2桁が27です。

他県の離島でも27や29になってると思います。

 

 

 


母の従姉妹が社長を務めており、二人とも数年ぶりに会えたことをとても喜んでいて、社長さんが即電話をかけて注文してくれたのが、八重食堂(やえ)さんのチャンポン。

好意が身に染みてとても美味しかったです。

祖母の命日当日である5月20日午前は雨が強く降ってたんですが、チャンポン食べて雑談してたら小降りになったので、午後から墓参りを済ませました。

7年経ったんだな~、月日が流れるのは早いもんだな~と思いながら、墓掃除などをしておりました。

 

 

 

 


対馬市北部の港町、比田勝港周辺です。

韓国からの観光客を見込んで、ここ対馬市に北部には東横イン対馬比田勝、南部には東横イン対馬厳原ができましたが、コロナ騒動で観光客は皆無だそうです。

さすがにこの時期はコロナも収まり始めてるだろうとの予測で、早々と宿泊予約をとってましたが、令和3年5月20日現在、日本全土でえらいことになってますね。

いつもは親戚宅に泊めてもらってるんですが、今回ばかりは不安を与えて迷惑をかけてしまうかも知れないので、東横イン対馬比田勝さんにお世話になりました。