令和4年7月1日永眠。
我が家の警備課長として活躍してくれてましたハチさん。
平成19年1月12日生まれ
15歳と5か月の生涯を閉じました。
7月1日、11時40分頃、母から緊急連絡をもらい、病院に連れて行こうと急いで家に向かい、
12時25分頃に自宅に帰りつきましたが、私は最後の瞬間には間に合わず、
母からの電話から10分ほどしてから、母に抱かれて静かに息を引き取ったとのことでした。
苦しむことなく、眠るように息を引き取ったとのことで、大好きな母の腕の中で安心して逝けたのかな・・・と思います。
それがせめてもの救いでした。
背景のクルマがセレナなので、1歳ぐらいのときですかね。
平成21年10月
母の里である長崎県対馬市への里帰りのとき
フェリーのデッキ。
ハチさんが亡くなって、母と話をしておりましたが、ハチさんはカメラ目線が上手だったね・・・と。
母からイチゴをもらって、美味しいのかすっぱかったのか。
いつも自分の好きなところで昼寝してましたね。
人の出入りが多いとかもおかまいなし。
チワワのような超小型犬は寒さに弱いとは聞いてましたが、これじゃまるで猫ですな。
そうそう、冬になるとストーブの前の特等席はあんたの場所でした。
ロングコートは夏場は暑いだろうからと、毎年ライオンカットにして夏を乗り切ってたね。
散髪もシャワーも苦手だったハチさん。
よく頑張りました。
そうそう、あんたのために私はお家も建ててあげたんだよ。
本能からかこの狭いおうちは気に入ってもらえましたね。
お手、おかわり、お座り・・・なんでもすぐに覚えて、私たち家族やお客さんを楽しませてくれましたね。
「まあ!ハチさんはおりこうね!」といろんなひとから褒められて、オヤツもたくさんもらって、鼻高々だったね。
たまにはイタズラして叱られるときも、真面目な顔して反省してたよな。
その目で見つめられると、なんでも許してしまうんですよ。
この大きな目はトレードマークだったね。
ハチさんとオフクロをこのクルマに乗せたくて、仕事も頑張ってこれたんだよ。
令和元年11月。
間に合って良かったけど、これから3年弱か・・・。
今頃は虹の橋を渡って、大好きなバアちゃんと再会して遊んでもらってるのかな。
そしてこのドヤ顔であちらから私たちを見てるのかな。
うちの子になってくれてありがとう。
生後2か月でうちに来てくれて、あの時は両手に乗せられるぐらい小さかったね。
あれから15年と3か月、ハチさんを叱ったり、ハチさんから怒られたり、家の中を走り回ったり、いろんなところにも行ったし、今では楽しかったことしか思い出せません。
天寿を全うするまでよく頑張ったね。
いつかまた会う日まで待っててな。
そしてまた家族になろうな。
ハチさん、あなたには感謝しかありません、今まで幸せな時間をありがとう。
そしてどうか安らかに。